2017年6月19日月曜日

HILL VALLEY STUDIOにて、『直射月光』以来のレコーディングを開始しました。

確か、あれは、年明け、1月頃の話だと思うので、およそ半年振りのREC、順調に進んでいます。

正確に言うと『直射月光』の他にもう1曲、既に、録り終えているナンバーがあるのですが、今回、新たにRECしている楽曲を含め、販売 という形ではなく、とあるメッセージの為だけに時間を費やしています。

チーム内で、電子文字には書かない という約束事があるので、これ以上、詳細は省きますが、7月の あの日、あの場所 で会える方には、全てお知らせ出来ると思います。

友人である、the band apartのベース原くんが昔言ってましたが、レコーディングとは「メンバーとの記念撮影のようなもの」「この時期はこうだったよね、という確認作業」という考え方に、毎回、毎回、とても腑に落ちる点が多いです。

自分のやり方は各パートをバラバラに録音するのではなく、ほぼ一発録り に近い、つまりは「せーの!」で演奏したものを形に収めるスタイル、ですので、記念撮影 に例えるならエンジニアの 松井主任a.k.a.お嬢 はカメラマン、あるいは現像してくれる写真屋さん、と言ったところでしょうか。

この録音の仕方は初めて、デモテープを作ったときから15年以上、変わってません。(今はiPhone一台さえあれば、録音だけでなく、編集まで出来てしまうそうですが)、自分は殆どライブと同じテンション、感覚ですので、あまりREC当日はジタバタせずに大体、1テイクで終わらせてしまいます。し、ぶっちゃけて言えば、それがバンドのステートメントにも(我々の場合は)、繋がっていると感じています。

これは、最早、バンドマンとして考える範疇を超えていますが、ゆくゆくは、

「HILL VALLEY STUDIOに出入りしている奴らはイケてるよね」

というムードが出来上がると嬉しいな、と個人的には思っています。あくまで 付いて来る結果 の話ですが、どうしても、実現させたいですね。


※自分で良ければ、是非、紹介させて頂きたいので、もし、これを読んで、気になる方がいらっしゃいましたら、自分のTwitterアカウントからDMして貰えれば、責任持って担当者に繋げます。




2017年6月12日月曜日

星川崇さん、という素敵なブロガーの方に
http://www.shellbys.com/entry/indo-sei
自分の暮らし、生き方が面白い、ということで取材して頂きました。

前回の更新に書いた通り、ANTIKNOCKの従業員として卒業してから丸一年が経ちますが、そんな思い出を振り返りながら、星川さんと四谷三丁目のバーガーキングにてお喋りさせて頂きました。

自分がANTIKNOCK在籍中に、引退のことを伝えたバンドマンはesolaのマタヒラくん と LANPAZIEの柴兄 の2人しかいません。

なので、今、自分が取り組んでいることを説明するのは、なかなか表現が難しいですし、おこがましい と感じています。

星川さんは自分との距離感を大切にしながら、あくまで第三者目線で、印藤勢という人物のプロフィール に 程よいピント を当てて頂いたと思います。本当にありがとうございます。

そういえば、自分のライブハウス改革的人生(笑)の原点で、その昔 SMK というイベントを三カ月に一度、開催してました。

ANTIKNOCKの平日ブッキングで出会った、ジャンルもシーンも、てんでチグハグなSIDEKICK9,小手,マシリトの頭文字を並べた3バンドによる合同企画は、新宿ACB 渋谷CYCLONE やがて、下北沢シェルター等にも拡がりました。

イベント毎にミーティングをする為、深夜のジョナサンに3バンド、フルメンバーが集まり、朝まで延々とユーモアやアイデアを出し合いました。

関西にも同じプランを持ち込み、ORANGE HEADS PRODUCTIVE(のちのeleki),nilescape,神今(のちのkacica,現AYNIW TEPO)らが共同主催する ONK と一緒にコラボレーションしたりと、本当に有意義な時間を過ごしたと思います。

やがて、それぞれのバンドに、脱退や活動休止が伴い、お互いのイベントは終了してしまいましたが、東の3バンド vs 西の3バンド で行ったツアーの思い出、道中のハプニングやトラブル(笑)、ANTIKNOCKでSMKのスリーマンをした日、開場前なのに高島屋の方まで並ぶお客さんたちを見て、皆で興奮したことは、今も自分の活動において凄まじい原動力になっています。

"全ての伏線を回収するまで、人は死ねない"

と最近、何かで読みましたが、あの頃のまま、自分だけがずっと執念を燃やし続けているのか、と悶々としていましたが、いよいよ、皆さんのおかげで霧が晴れそうです。

長いトンネルでした。

新しい価値観を作るまで、自分はやめないので、やめないで下さいね。あなたのことです。

2017年5月28日日曜日

今日からちょうど一年前、AYNIW TEPOのツアーで、regaやLIBROさん等、大好きな仲間たちに囲まれて、自分はステージの上から ANTIKNOCKを引退すること を伝えました。

遡ると2016年、年明けに現・店長の柳澤とシリアスなミーティングを重ね、自分は 従業員という形を退く ことを決意しました。背中を押してくれたのは事実、彼のおかげです。もちろん他、スタッフやバンドマンの理解にも心底、救われました。

自分は根っからの お知らせが下手な人間 なのかもしれません。一つ前のBlog、マシリトのこと然り、大体は皆さんに事後報告で申し訳ないと思います。悪気はないのですが、さみしい思いをして欲しいわけじゃないです。いつも、すいません。

何故、ライブハウスを引退したのか、今は何をして暮らしているのか、は近々、某メディアを通じて紹介して頂きますが、真剣に恥ずかしいです。

365日、フリーランスと言えば聞こえは良いですが、a.k.a.無職 とも例えられなくもない、超・綱渡りな状況で、よくもまあ一年間、無事でいられたな、と思います。

100%中、120%が、皆さんのおかげです。ありがとうございました。なんとか生きていますので…

ある意味、ライブハウス勤務時代よりも、音楽漬けです。昨晩は、横浜のクラブにPONYくんとyu-Riくんのラップを観に行きましたし、深夜は家でシコシコ速弾きの運指練習、目覚めてからはアコギに持ち替え、ベランダから見える西陽に向かい、発声練習をして、また日が暮れると、新宿に自転車を飛ばし、インタビューを受けに行く、というなかなかカオティックな生活をしてます。

そもそも、比べるものではないけれど、他人の4倍は行動しないと気が済まない (要領が悪い) のでとにかく体育会系にシフトして暮らしています。

直感を頼りに生きていますが、直感を信用してくれている仲間たちに ありがとう を言いたいのでこちらに留めさせて頂きました。何よりも、気にかけて貰えている事実に、ひたすら感謝します。

節目として、2周目に突入する前に留めておいて良かった と、今から365日後、改めて同じように感謝の意を述べたいと思いますので、今後とも 印藤勢 を宜しくお願いします。

次は、現場でお会いしましょう。

2017年5月23日火曜日

『直射月光』のライブ動画が公開されたタイミングで、自分なりに 空白の時間のこと を初めてちゃんと書いてみようと、思いました。

※ごく 個人的な目線 の文章ですので、ご容赦下さい。

まるで 他人ごと のような書き方になりますが、約半年くらい前、マシリトの昔のオフィシャルサイト(現在は閉鎖中)を眺めていたら、公には『ライブ活動休止中』となっていました。

何度断わっても「やりましょうよ」と最後の最後まで食い下がってくれたのは、ドラムスの石川大輔くんです。めっちゃしつこかった。

ベースの川くんは自分の中学時代からの幼なじみですから「印藤がイイならイイんじゃん」と、相変わらずそういう(ずるい)スタンスでいてくれたようです。

それ以前に、何度も何度も「そろそろどうかな」と、色んな形で伝えてくれた 仲間たち も数え切れないほどいました。その都度、断る理由の、バリエーションが増える一方で、上の空か、生返事を重ねている自分もいたと思います。

時には、酒の席で掴み合いの喧嘩に発展してしまいそうなこともありました。その時は何故、皆がマシリトだけに執着するのか、自分にはわかりませんでした。すごく惨めで、悔しかったです。

そもそも、何故、8年前にライブ活動を止めたのか、本当の意味で知っている人は少ないと思いますし、未だ、それを誰かにうまく言えた試しはないです。

そんな中、深く理由を聞かないでいてくれて、時間が経って、少しずつ、違う言葉や、アプローチで「そろそろどうだい?」と、言い続けてくれた 人々のことを想うと、目も合わせられないくらい、恥ずかしいです。

美談ではなく、その手を振り払い続けてきたわけですから。今も複雑な気持ちが無い、と言ったら嘘になります。

逆に、自分は誰かの為に、8年間も背中を押し続けたり、励まし続けることなんて出来ないと思いました。

(ライブの話に戻ります)

正確には、去年11月に稲毛K's dreamにて『ファンタジーの住人』という名義で、3人でステージに立ちました。最もお世話になったライブハウスの周年記念、毎年頂くオファーを断るのは 後ろめたさの限界 が来ました。共演には、かつてのレーベルメイト、nilescapeやZIONG HEAD等、仲間がたくさんいました。

この日、元・群馬SUNBURSTのオーナー、ヒゲくんが出演オファーを直談判しに来ました。その熱意に負け、今年の2月に高崎でライブを決定しました。

当初は稲毛と同様、別名義でのクレジットでしたが、ソールドアウトしたタイミングで改めて、ヒゲくんから電話を頂き『マシリト』名義で事実上、活動再開ライブを行うことになりました。

何より、このライブハウスの名前『SUNBURST』はマシリトの曲名から付けて頂いたものですから、本名で登場することで、自分たちがカッコつけられたのもそうですし、本当に、ヒゲくんの熱意と配慮に感謝しています。

そして、3月、恐らく自分の音楽人生で、最も付き合いが長く、最大のライバル『小手』のワンマンライブにオープニングアクトとして招いて貰いました。

話はやや前後しますが、元々、自分が16年間勤務した『新宿ANTIKNOCK』というライブハウスから、"従業員としての卒業"が決定後、その噂を聞きつけた小手のボーカル石川くんがお店に電話をかけてきました。

その時、初めて自分から「3人でスタジオに入ったよ」ということを伝えました。石川くんは「ふーん、いいこと聞いたわ」とだけ言って電話を切りました。その後、正式に彼らのワンマンO.Aのオファーを貰った、という流れです。

この日、三軒茶屋ヘヴンズドアで、ワタナベタカシさんに撮って頂いた映像
は、自分の音楽人生の中でも、極めて 稀な経験 を収めて頂いたモノだと痛感しています。

まるで、自分じゃないような、まるで、現世では繰り返せなかった夢のような、相変わらず、今でも、ずっと、そんな気持ちです。

この曲を選んだのも、同月に『KEEP AND WALK』から発売された限定コンピ
に収録して頂いたもので、去年末レーベルオーナー松尾くんに自分から「マシリトの新曲でお願いします」と直接、伝えたという経緯があります。

ライブ活動再開云々よりも、自分は先に音源で、お待たせしている皆さんに、示しをつけたいと思ったからです。

事実上、それは8年振りの新曲であり、歌詞は自身の独白そのものであり、それが『オフィシャルな最新映像』になるように、監督のワタナベさんを始め、HILLVALLEY STUDIOの松井お嬢、MudWheel Recordsヤマザキ社長、に協力して頂きました。奇跡のワンカメ、一発録りです。

例えば、遠く離れてしまった仲間や、病気や怪我等、その他、様々な事情でライブに来れない人たちにも "新曲でライブをする3人" を観て貰いたい、と考えました。

また、『ANTIKNOCK RECORDS』というシンボルは、同じくして、自分を何年間も励まし続けてくれた 関川社長 やスタッフたちのサポートにより実現しました、という意味合いもあります。

あんびるはるかさん がデザインしてくれたフライヤーが映るラストシーン、自分は、"再び、ANTIKNOCKのステージに立ちます"という、自分自身の 大袈裟な決意 です。

マシリトを全国区にしてくれた、真の恩人『MUSHAxKUSHA』と
自分が最も尊敬する音楽家『TERROR SQUAD』との
スリーマンライブです。

その先のことは 未定 です。

最後まで頷かなかった自分を蹴飛ばすのが、この日で最後になるでしょう。

自分ほど、ずるく、ひどく、臆病で、しみったれた人間は知りません。

歌うしかなかったこと、ずっと前から、周りにいてくれた皆さんは、知っていてくれたんだと、今、改めて、そう思います。

最後まで読んでくれて、ありがとうございました。

印藤勢 (マシリト/SEI WITH MASTER OF RAM)

2017年4月20日木曜日

どこにいたいか
だれといたいか
何が幸せなのか

実は意外と知らない自分もいる

たった一つだけ、条件を上げるとするならば
皆が笑い合う世界の方がいい

他人より多く、なんて人間のエゴだから
もちろん自分にもあります

だけど、他人ごとじゃない人たちのことを
「皆」と呼びます

その上で一人一人が、

どこにいたいか
だれといたいか
何が幸せなのか

音楽活動を通して学んでいるのかもしれません

ここ数日、自分も「皆」から教えて貰いました

ありがとう。

2017年4月12日水曜日

お知らせ

諸事情あって、こちらで日記の更新が出来なくなりました。

((そもそも読者は少ないと思いますが笑))

一応、お知らせになります。

理由は直接会った時にでもたずねてみて下さい。

2017年3月29日水曜日

・3/25土曜日

小手、ワンマン
@三軒茶屋ヘヴンズドア

遡ると、16年以上前になるだろうか
当時、まだまだパンクハードコアの聖地を
地でイッテた新宿にある
ANTIKNOCK
というライブハウスで我々は出会った

改装する、前の、前、まるで悪の巣窟を絵に描いたような地下室
自分がまだ働く前の話だ

いわゆる通常ブッキング、平日、お客さんは4人〜5人
対バンも自分たち含めて4バンドくらいだったんじゃないかな

ミクスチャーというジャンルが台頭し始めてた頃で、自分のようなマイナー調のメロディーを日本語で歌いながらメタリックなフレーズを刻むバンドは皆無だったと思う
(某店では「君たちはビジュアル系なの?」と言われたり、ブッキングして貰えないこともあった)

もちろん、小手も当時は現在とは少しかけ離れた、いわばミクスチャー寄りな音楽だったが、良い意味でどこかズレているというか、和がコンセプトにも関わらず、あのキャラクターだけが非常に印象的だった

同い年で、住んでる町も近く、お互い仲良くなるのに時間はかからなかった

現役で、その"当時の界隈"知っているのは、ヘルミッショネルズのミキヤくんや、現COCOBATのギター、世紀くらいのもんだろう
(彼は元々、GREATEFUL EARTHというトリオバンドでボーカルも務めていた
解散後ドラムの柴田はマシリトに加入、のちに脱退)

一緒にイベントもやった
一緒に音源も作った
一緒にツアーも行った

それこそ、小手の歌詞じゃないけど
お互い別々の道を選んだり
時々、気まずい時間、分かり合えないことも多かった

そんな彼らのワンマン

これ以上ないタイミングで
これ以上ないステージを用意してくれたと思う

また、縁とは不思議なものでこの日、三軒茶屋ヘヴンズドアのPAは矢野さん、という当時僕らがANTIKNOCKに出演していた頃の音響さんが担当してくれた

ありがとう、意外の言葉がない

自分もいつか返さなければならない

そのことだけ、忘れないようにBlogに記します

スッカスカの通常ブッキングには、夢がある

俺たちでも出来る

が、

俺たちにしか出来ないこと

に、変わる日まで。

https://youtu.be/Xs1_6esYjJA