2013年1月22日火曜日

祈りながら走る。

写真は光が丘公園。
ジョギング中にパシャり。
まるでゲレンデ
スキーなんて15年以上やってない。

1月の2公演が無事終了致しました。
ご来場の皆さん、どうもありがとう。

やっとアルバムの事、お知らせ出来そうです。

最近、老いについて考えます。
僕はきっと同い年のあの電車で見かけるようなうなだれたスーツ姿の人たちに比べると見た目はだいぶ若いと思う。

付き合ってる人間や環境がきっとそうだから、なんて話しは本当かもしれない。

老い、という概念も時間という概念もそれは誰かが決めた事だからあまり僕には関係のない話しだ。

だけど確実に衰えてゆく。それは肉体的な事だけじゃなく考え方や日々の過ごし方、ルーティンワークに少しづつ削られてゆく。

粉状の僕が雪のように積み重なってゆく。その一粒は触ればすぐに体温で溶けてしまうような儚さだが、塵も積もれば山となる、だ。
まるで砂時計みたいに僕の生きた時間を知らせてくれる。

その残骸を見ると何だか今まで過ごした日々は全て罪のような気がする。美味しかったアイスクリーム屋さんの事も、その時愛していたはずの女の顔も滲んで溶けてゆく。硝子越しに触れない時間。

いつかは僕自身が溶けてなくなってしまう。それは物質的にも、あるいは誰かの記憶の一粒として。

この世を構成するものは全て浄化を待っている。ならば私たちは何故、この姿に生まれ、今日を生きているのだろうか。
あるいは見知らぬ人がすれ違い様にその答えをふと教えてくれたとて、相変わらず釈然としないままカーテンを閉め布団をかぶるのだろう。

僕は時間から逃げようとしている。
だから走る。
願い、ではなく祈るように。

それが今日を支えている。やっと立っていられるのさ。矛盾だってわかってる。

遠くに点滅式の信号が並んでいる。
彼らはじっとと待っている。
何も言わず、何も語らず
僕らが通り過ぎてもいつも知らんぷり。

そこで何を待っている?
何を、期待している?