2013年6月3日月曜日

永遠のサスティーン

6月なのにまだ夜は肌寒い。

昼過ぎに家の扉を開けると
まるでパラダイスの様に
夏特有のワクワクが予感となって身体中を浮つかせる。

練馬区役所は今日もヌボーッとそびえ立つ。
20階だか21階建てのソレはこれまた初夏特有の晴天にクレヨンを押し付けた様なグレーが
無口で体格の良い青年を思わせる。
彼はいつも南の空を見つめている。

大江戸線のホームは
アナウンス音が男性ならば新宿方面の電車が到着する事を知らせる。

両国駅はいつも通りだ。
いつ来ても不完全に栄えた街だ。
辺鄙でもなく都会でもない
国技館一帯以外はオフィス街とちょっとだけ下町を思わせる雰囲気があるだけだ。

実に不思議な場所でロックバンドのライブをやる。

生きる事に本質的には必要ないとされる
音楽という娯楽をすごい音量で鳴らす場所だ。

そこに集まった人々は自分なりのドラマをそれぞれの演者に重ね、投影し
あるいは何かしらの啓示や
漠然とした元気を貰いにくるそうだ。

小さなステージから伝えられる情報量は
1バンドの演奏時間を30分だとしても
歌詞で放たれた単語の数
景色の数
楽器の音の点や線
スニーカーがステージをこする音
とにかく膨大なメッセージが容赦なく飛び交う。

ある者は涙を浮かべ
ある者は笑い声を絶やさない。

酒をチビチビとやりながら
やはりいつかここで出会った仲間たちと騒ぐ。

きっと僕らは少数派だ。

膨大な情報量を与え、受け取り、投げ返し、解釈やカタルシスを熱弁し
やがて終電と明日に怯えながら帰る。

きっと僕らは少数派だ。

ジャンルだ、リアルだ、フェイクだ、何だと言っても
そこにいる瞬間は
僕らはやっぱり"僕ら"でしかない。

だからきっと
1人で着く家路は
少しだけセンチメンタルな気分にもなるし
ちょっとした思い出し笑いなんかも
こぼれてしまうよね。

改札口を出るとキャバクラの呼び込みや
見慣れた呑み屋の看板

もう少しだけ誰かと話したかった。

もう少しだけ一緒にいたかったな。

もう少しだけやってみようかな。

耳の奥からエレキギターのフィードバックノイズが聴こえてくる。

それは
僕らを導いてくれる光だ。